東京は、なんだかんだ言っても緑が多いとはいわれていた。
公園があちこちにあって、ど真ん中には皇居という不可侵な緑がどっしりと存在する。

それが最近、そのあちこちで樹を切る話とか、多目的スポーツ施設を作る話とかがニュースになっている。
隣のさいたま市でも、広い公園に数万人のスポーツ施設を作るとかで、住民が驚いているらしい。

なんでこんなにあちこちに、と友人に言うと、きっとそれは大地震の時の避難所にするためだよと言う。
それがまったく的外れでもないような気がして、言葉を失くす。

でも、東京の湾岸地域にもデカいスポーツ施設が散在する。
これはどうなの。津波がゆうゆう押し寄せるよ。と思う。
もう訳がわからない。
こういう所に立つタワマンたちを見ても、ますます訳がわからない。


日比谷公園も知らぬうちに、様相を変えている。
まったくの都心に鬱蒼とした緑がある、そこここに歴史の刻まれたモニュメントがある、地面にはアリが行き来し、鳥が飛ぶ。
適度な管理のもと存在する公園は、気持ちがいい。
自然のことは、基本自然に任せる。
そんな公園には公園らしい自由がある。

それじゃあ商売にならんのだと、おそらく上に立つ人は思うのだろう。
貴重な土地なら活用しなきゃ、土地は金を生むものだと思うのだろう。

なんだかセコイなあと思う。
公園を公園のままにできないなんて。
ここにこうした樹を植え、橋をかけ、施設を作り、人の流れをこう作り。
そんなの、まったく余計なお世話だ。

余計なお世話は、人を信用していないことでもある。
人がそこに集い楽しむことの、一人一人の想像力を信用していない。

日比谷公園というといつも思い出すのが黒澤明監督の「素晴らしき日曜日」という戦後間もない作品。
貧乏で夢も萎んでいく恋人二人が、夜の野外音楽堂で再び「夢」を取り戻すラストシーンに胸が震えた。

公園は人を勇気づける場所でもあるんだ。