曲がった背中で、懸命に買い物カートを押して歩くご婦人がおられる。
あるいは、杖を片手にというご婦人も。
そういう方は何人もおられて、その姿を見るといつも敬意でいっぱいになる。

どういう姿であろうと、自分の生活を守るという信念や、逆に、そうせざるを得ない状況も見える。

うちの母親は、自転車で転んでからまったく買い物に行かなくなった。
ケガをしたのは両手だったが、治ってからも、歩くことはしなかった。
買い物カートも買ったが、一人で出かけることはしない。

恥ずかしい、ということなのだろう。
曲がった背中で買い物などとんでもないと思うのだろう。
一時が万事、こういう人だから、リハビリを兼ねての「歩き」も、私がそばで支えながらでないと出かけない。
「一人」で懸命に、ということはできない。

そんな時、ふと思った。
子供が娘ではなく息子だったら。
そうしたら、この人はもっと一人で出かけられただろうか。
一人で頑張れただろうか。

夫や娘に守られて生きてきた人が、今孤独と向き合っている。
一人暮らしというには、あまりに一人じゃない生活でも、孤独と戦っている。

とはいえ、私にできることはもう精一杯だ。
疲れたという言葉を聞いても、言えない状況に、時に天を仰ぎたくなる。

夕方の買い物帰り、夕暮れがくすんで見えた。
生きることは、ほんとに大変なことだとまた思う。
でも、別の角度から自分を見つめ、そこから新たなチカラを生もうとも思う。
そうしてきたじゃないか、これまで。

と、我が身を励ます日曜です。