あれと思ったら、自室から見えるマンション一階の庭、あちこちで木が枯れている。
ここに引っ越してきてから二十年も経つが、ずっとそこにあった大きなクスノキも枯れてきている。

一時は、適切な剪定もなかったので、その枝が私の部屋のベランダにまで届くありさまだったのが、その後、きちんとした職人さんの手で、きれいに刈り込まれた。
「その樹、何の樹ですか?」コマーシャルの文句のように聞いた私に、その職人さんが「クスノキですね、樟脳ともいって、虫除けになる樹ですね、いい匂いがしますよ」と教えてくれた。

その職人さんも昨年から、いなくなってしまった。
そういう歳になっていたのだろう。
樹は不思議なもので、可愛がってくれた人がいなくなると、だんだんに元気がなくなる。
そしてやがて枯れてしまう。

そんな気がしている。

両親の家の鉢植えたちも、父親がいなくなってから、どんどんその数を減らした。
モウモウと茂っていたネムの木も、伸ばした枝のあちこちから枯れて、背丈も半分になってしまったし、赤い花が溢れるほど咲いていたサザンカも、すっかり枯れた。

地植えでも、鉢植えでも、愛情をかける人がいなくなると枯れていく。
不思議なような、当たり前のような。

ぎいこぎいこと、慣れない小さなノコギリで、枯れた枝を切る。
ごめんねと詫びながら切る。
父さんもういないからね、と言ってみる。

その父さんは、どんどん想いの視野が狭くなっていて、今日泊まるところを心配している。
「今日泊まらせてもらえるようにムスメ(私のこと)から話してみてくれ」と言う。
「今日も明日もこれからも、ずっと泊まらせてくれるよ、大丈夫だよ」

父さんも、父さんの愛した鉢植えも、みんなどこかに行こうとしている。