父さん母さんのホームでの「逢いびき」を終え、父親が前回より顔色が良いことに安心し、夜サントリーホールに出かける。

清水和音さんと東京フィルハーモニーの「三大ピアノ協奏曲の饗宴」という、毎年恒例の人気プログラムらしい。
ベートーヴェンとチャイコフスキーとラフマニノフ。
チャイコフスキーは、有名な曲なのに不覚にも途中居眠り。
有名な曲ほど眠くなるのはなぜなんだろう。

ラフマニノフも有名な曲。
なのに、出だしのピアノの低い和音がはじまったとたん涙がボトボト落ちる。
知人にとっていただいた席が前から四列目の真ん中。
オーケストラの音圧が頭から襲い、カラダ中浸す。
その中に、人が生きていること、死ぬこと、そして今世界で起きている戦いのことなど、いろんな感情が帯のように連なっていく。
ぼとぼと涙は落ち続け、汚れた川のようにシャツを汚す。

ちょっと席が良すぎたなあと贅沢なことを思う。
二階席でオーケストラ全体が見える場所で、耳を澄ますように聞きかったなあとも思う。
威勢の良い音ではなく、儚い音に心を添わせたいと、最近は特に思う。

にしても、なんて幸せな時間だったろう。
浄化。音楽って人の心を浄化するために生まれたんだろうなあ。
音楽っていいなあ、そんな音楽の端くれにいられて私は幸せだなあ、と思った。

ベートーヴェンもチャイコフスキーもラフマニノフも、みんな生きることに苦しんで悩んで音を生み出した。
みんなおんなじだね。
ベーさんもチャイさんもラフさんも、みんなおんなじ。

演奏の最後はどこからか光が差し込むような気持ちになった。
光はあるよ、ここに光はあるよ。

また行きたいなあ。
光が見えない時に、また行きたいなあ。