やっと退院後の父親に会いにホームへ。
一番スケジュールがキツい時の手術入院だったので、その間の仕事も、うまく眠れないこともあって、なんだかアタマに熱がこもってしまったような一週間だった。

でもどういう時でも、ちゃんと時は過ぎる。
優しく、無情に。

退院後、足が弱ったと聞いていたので、父のいる二階に出向くと、隣で車椅子の入居者の食事介助をしているスタッフに、手を伸ばしナニカシラ話しかけている。
「父さん、来たよ」
というと、苦悩に満ちた顔で「もう帰ろうと思うんだ、すっかり疲れちゃったんだ」

時々このパターンがある。
カラダがどうもいうことを聞かないと自分が情けなくなる、ここにいても役に立てない、もうこんな仕事はやめて家に帰ろう。
というパターンだ。

父の部屋で、コンコンと話を聞き説得を始める。
父さんは、ここにいてくれないと困る人がたくさんいる。みんな父さんがいることで助かっている。いて欲しいと思っている。
とまあ、こんなことだ。
父はどこまでも、会社ニンゲン、いや社会的ニンゲンなのだと思う。
自分が誰かの役に立っているかどうかが、心の拠り所になっている。

こんな父親が愛おしく哀しい。
それでも、一時間ほどで、なんだか納得してくれた。
父の理解の筋道はまったくわからないが、こうして論理にもならない説得でも、とにかく寄り添うことが大切なのだ。
それには、やっぱり家族なのだろうなあと、思う。
これまでの人生を見て来た者にしかわからない「届く言葉」を持つのは、家族なんだろうなあ。
娘の役割は、広がるばかりだ。

父と母と。
この二人の人生と関わること。
大変なことも多いが、もともとが未熟者の私には、自分のためにも大切な時間なのだと思えて来た。
最後の授業。
父と母による最後の授業。
そういうことかもしれない。