ブログ読者の方から「(背中の荷に)ちょっと降りてもらって、腰を伸ばして背負い直さないと、こちらの腰が先に曲がってしまう」というメッセージ。
なるほど、うまいことをおっしゃる。

皆さん、それぞれいろんな思いで毎日を生きているのだと、またしても「生き合っている」感覚に励まされる。 
ありがたい。

朝のニュースで、育休を取った男性たちへのアンケートで。
半数以上の人が、育児を苦痛としていると知った。
自分の時間がなくなる、慣れない家事もある、そんな八方塞がりで、子供が自分の人生を邪魔していると思えてくるのだろう。

育児をしたことのない私は、ニンゲンの始まりに関わらなかったのだから、今、ニンゲンの終わりに関わっていることは当然だなあと思った。
キレイゴトではない関わりを、今経験して、少しずつニンゲンのことが、わかってきた気がする。ニンゲンはキレイゴトでは生きられない、そのことを学ばせてもらっている。


昨日は父親のホームに行き、一時間余り、抱きしめ、頬にチューをし、繰り返される同じ質問に答え、それから、風呂場に行く父を見送った。
風呂から出てくる時には、いや、風呂に入る時には、もう私のことなどすっかり忘れているだろう。

でも、この父親が喘息の幼い私を背負い、出勤前に荒川の土手を歩いてくれたことは、忘れない。
小学校入学前の一ヶ月にわたる入院で、子守唄(なんと軍歌)を歌ってくれたことも忘れない。
膝下のプールで溺れる私を、引き上げてくれた手も忘れない。
だから今私は父親を抱きしめられる。

愛は順ぐりだなあ。
今はツラい若いお父さんたちも、きっと、その子に抱きしめられる時が来る。
人も順ぐりだ。