母親のカラダがどんどん動かなくなってきている。
膝下の鬱血というか老人あるあるの、黒ずみからの浸潤液も止まらず、それがかなり痛いらしい。
訪問診療の医師に見せても、薬の処方をするだけで外科的な措置はできない。
ケアマネさんと相談して、今度は訪問看護をお願いしたほうがいいという。
本人のこの頃の口ぐせ「こんなに長生きしなきゃよかった」は、より切実味を帯びる。
確かに、こんなふうなことで悩むのも、昔ならなかったことかもしれない。
ボケと同じで、80歳いや80代が寿命なら、こんなことにはならなかっただろう。
でもそれを悔しがっても、それこそバチが当たる。
カラダが動かしづらくなっている母親の世話は、だんだんに増える。
それでも、まあ、そんなものだと、疲れは増えたが苛立ちは少なくなった。
どんどん衰える母親のカラダを見ていると、可哀想になってしまう。
可哀想などと娘に思われてるなんて知ったら、どれだけ傷つくかと、そんな素振りは見せない。
でも、手助けは増える。
もう体力勝負、カラダもココロも。
そう思って、このあたりは人としての真価を問われるとこだと思うようになった。
自分で自分を褒めてあげられるように、母親の世話をしたいなあと思う。
自分で自分を嫌いになったら、もう歌だって歌えやしない。
自分で自分を嫌いにならぬよう、生きる。
母親は自分を映す鏡なのだ。
さあ、どこまで行けるか。
ひゅういと口笛を吹けるくらいに、歩いていきたいなあ。
膝下の鬱血というか老人あるあるの、黒ずみからの浸潤液も止まらず、それがかなり痛いらしい。
訪問診療の医師に見せても、薬の処方をするだけで外科的な措置はできない。
ケアマネさんと相談して、今度は訪問看護をお願いしたほうがいいという。
本人のこの頃の口ぐせ「こんなに長生きしなきゃよかった」は、より切実味を帯びる。
確かに、こんなふうなことで悩むのも、昔ならなかったことかもしれない。
ボケと同じで、80歳いや80代が寿命なら、こんなことにはならなかっただろう。
でもそれを悔しがっても、それこそバチが当たる。
カラダが動かしづらくなっている母親の世話は、だんだんに増える。
それでも、まあ、そんなものだと、疲れは増えたが苛立ちは少なくなった。
どんどん衰える母親のカラダを見ていると、可哀想になってしまう。
可哀想などと娘に思われてるなんて知ったら、どれだけ傷つくかと、そんな素振りは見せない。
でも、手助けは増える。
もう体力勝負、カラダもココロも。
そう思って、このあたりは人としての真価を問われるとこだと思うようになった。
自分で自分を褒めてあげられるように、母親の世話をしたいなあと思う。
自分で自分を嫌いになったら、もう歌だって歌えやしない。
自分で自分を嫌いにならぬよう、生きる。
母親は自分を映す鏡なのだ。
さあ、どこまで行けるか。
ひゅういと口笛を吹けるくらいに、歩いていきたいなあ。