ほぼ同い年の友人が、要支援1になったという。
正確には要支援1をとった、という。
(こう言い換えるだけで、ナニカシラ資格者のようで、うらやましくなる)
そうか、そういえば介護保険の書類なんかもきてたなあと思う。
親のことばかりで、自分自身もそんな資格が取れる歳になったんだと驚いた。
遠い遠い話だと思っていた。

それがこんな身近で要支援1。
彼女は目が悪い。
そのことが日常生活に支障をきたさせるということらしいが、口もアタマもまだまだ元気。
でも、こんなふうにお助け介護保険はやってくるのだ。

その友人が、ケアマネさんから教えてもらった民間のサポート会社情報をメールしてくれる。
そこには、さまざまな日常サポートが並んでいる。
ビンのフタ開けや、お使いや、家具配置換えや、電球取り替えや。
こんなもの、どれも、ほかに家族がいればなんてことないものばかり。

その中に「お話サポート」ってのがあった。
ちょっと来て話し相手になってくれるというもの。
これが目に止まる。
通いの家政婦状態の私だが、どうしても母を一人にさせることはある。
イトコや、友人に頼んで来てもらったりしているが、どうにもならない時はこういうサービスもいいかもしれない。
一日一人は大丈夫でも、二日は難しい、そんな時にいいかも。

友人からの情報では15分500円だったが、調べてみたら20分1000円に変わっていた。
わずかの間に、こんなに値上がりしていた。
何でもかんでも高くなってる物価への怒りがふつふつするが、それはとりあえず置いて、冷静に考えてみる。
いざとなったらこれしかないかもしれんなあ。

介護保険は、こうしたちょっとしたことごとに対応できない。
ご飯の支度とか洗濯とか掃除とかなら使えても、もっとこまごましたことが人の日常なのだ。

毎度毎度思うこと。
家族が多ければなんてことないんだ。
昔のように、おじいちゃんおばあちゃんのいる家族なら、普通の日常なのだ。
ビンのフタ開けだって、電球取り替えだって、なんてことない日常だ。
実際、私の両親の祖父母たちも、家族と暮らし、日常の中、自宅て死んでいった。

それが次の世代から、こんなに変わってしまったのだなあ。
ただただあんぐりしてしまう。
そりゃあ、少子化だって起きるさ。


とりあえず母には電話友達がいる。
その方のご厚意で、毎日にようにかけてきてくださる。
それだけで、どれだけ助かっていることか。
人の温情が身に染みる。

さて。
今日はまた母の訪問診療。
前回はチェーンロックで大騒ぎしたが、今回は昨夜念押ししておいた。
「チェーンはかけないでね」
忘れてないといいが。
最近、なんでもすぐ忘れちゃうしなあ。
さ、出かけよ。