機能性ナントカカントカのサプリが問題になっている。
紅麹などはよく聞く名前なのに、ナニカシラの成分が人にとっての毒だったということか、あるいは混じってしまっていたということか。

麹も紅麹も、昔から馴染みがある。
こうした発酵モノは、よくはわからんが、日本の食品にとってはものすごく重要だという認識。
これらを常食していれば、まあ間違いないよねな感じ。
それが悪者に変わってしまった驚き。

ふと、前に見た「ヒューマニエンス」という科学番組を思い出した。
この番組、NHKBSとBS4Kが別れる前には、いつも火曜夜、お風呂から出てストレッチをしながらタラタラ見ていたのに、そのルーティンが今はどうもうまくいかない。(NHKさん、元に戻してくださいな)

で、その中で、食べ物がヒトの体に取り込まれること、それ自体が、とてもリスクのあることなのだという話があった。
え、だって食べ物じゃん、と思うが、カラダにとって入ってくるものはすべて異物。
その中から、何がカラダにとって危険かそうでないか、その取捨選択を経てヒトは生きているという、そんな話だったと思う。

そうか、なるほど。
ヒトという生き物は、いろんな試行錯誤を気の遠くなる年月を経て食べられるもの、食べられないものと分けて、その命を繋げてきたのだなあ。

そしてその試行錯誤は、もしかすると、いやおそらくずっと続いているのかもしれない。
添加物も含め、次々に現れる食品や薬、つまり口に入れるモノを、ヒトのカラダは、あれこれナニと慌てたり困ったり許容したりと、それはもう大忙しなのかもしれない。

口に入れなくても注射や点滴のように、外部から入ってくるものもある。
もう、ヒトのカラダは、訳が分からなくなっているのではないかと心配になる。

なるべくそのままで。
薬もサプリも入れず、そのままで。
そう思っても、朝起きて今まで、どれだけそういっったモノを口に入れてしまったか。
骨粗鬆症の薬でしょ、お腹とアタマのサプリでしょ、ビタミン剤でしょ。

あーあ。
ダメだ、こりゃ。