私はもともと、とても臆病でネガティヴな人間だ。
子供の頃から、布団をかぶっては、辛く悲しい物語を作って、その哀しい主人公になりきり泣いていた。
まだまだ幼く、両親に挟まれて寝ていた頃からそうだった。

どうもそうした性質というのは、ずっと続くものらしく、大人になっても、地震で死ぬのだろうとか、道で事故に巻き込まれ頓死するのだろうとか、ロクなことを考えない。
飛行機などに乗る時も、絶対記念写真を撮らない。
事故で亡くなった人の遺品で、こうした写真を見ては、不吉の刷り込みになってしまったからだ。

地震に関しては、若い頃に地震恐怖ブームのようなものがあって、関東大震災クラスのものがすぐにでもやって来るという、それが週刊誌でもテレビでも、頻繁に取り上げられていた。
(あれはノストラダムス大予言と関係していたんだろうか)
その頃には、もう毎日が終末感いっぱいで、その頃住んでいたマンションの向かいのガソリンスタンドから、爆発の炎が上がるのさえリアルに恐れた。

それが石巻で大震災に遭遇し、ああやっぱりねとどこかで思った。
大きな揺れの中、地下の楽屋で、ああここで生き埋めになるのだ、なるほどこういうことか私の人生の最後はと、思った。

でも、生きている。
まだ生きている。
やがてやってくるであろう大地震を思いながら生きている。
今不安なのは、私が死んでしまったあと、残された親の心配で、その逆は考えない。
(ホームにいる父親が一番安全だろうし)

こうなると、あまりに馬鹿馬鹿しい気もするが、思えば一人っ子はこうしてこれまで生きてきた。
子供の頃からずっと親の心配をしてきた。

なんか理不尽だなあとは思う。
思うがしょうがない。

早くきちんと二人を見届けたい。
平和な世の中のうちに、私が元気なうちに、見送りたい。
これがけっこう切実な願いになってきている。