以前「絶滅危惧種」と言ってしまったシャンソン。
フランスで生まれた歌のことだが、日本で特別な育ち方愛され方をした。
私のように、フランス語もできないし、フランス人になりたいとも思わないニンゲンでも歌っている。

40年以上も前にひょんなことから「銀巴里」に入り、古希近くになった今、やっとシャンソンの真髄部分に惹かれてきた。
「シャンソンはね、コンブみたいに長い間クチャクチャ噛んでるとだんだん味が深くなってくるものなのよねえ」
楽屋が同室のレジェンド瀬間千恵さんがおっしゃる。

人生の隆盛と衰退、日の当たる時当たらない時、それらを全部歌に落とし込める。落とし込める歌がある。
なるほどと思う。

昨日、日本最古といっていい銀座のシャンソニエ「蛙たち」60周年コンサート。
ご一緒した歌い手の方々は、半分以上が先輩がた。
そこでゲストを務めるなど、チンピラシャンソン歌手だった若き日の私には考えられない畏れ多いことだ。

まず、瀬間さんからいただいた「倖せな愛などない」を歌う。
人には必ず別れがくる、その無常を歌う。
曲前に長いおしゃべりをしていたら、出だしの歌詞がどこかへ行ってしまった。
舞台袖で見守ってくださっている瀬間さんに、聞きにいく。なんてこった。
瀬間さんは突然のことに驚きつつも。
「すべてむなしいじんせい」

そうだ、「すべて虚しい人生」
こうして歌がはじまった。
この難しい歌と、ここ数ヶ月取り組んできた。
ピアニストとの息と私の息と、どうしたら一番良い形になるのか。
さっぱりわからなかった。
今でも正解はわからない。
いや、そんなものはないのかもしれない。
私の残りの人生を賭けて、歌っていくしかない。
そしてそれが「味の深いコンブ」なのだ。

すべてが虚しいあろう人生で、シャンソンと関われたことに、今頃感謝している。
シャンソンが、歌が、音楽が、人生の杖になることに気づき感謝している。
杖が折れる時まで、一生懸命にコンブを噛み続けよう。
できることはただ、それだけだ。