大河ドラマ「光る君へ」が好きだ。
これまで男たちの陣取り合戦ばかりだったので、女性主人公の平安のドラマが新鮮だ。
装束にしても、まだ大陸の名残りがあって、ゆるゆるとしている。

そういえば、コロナ禍の間に二回、こうした装束を着てのコンサートがあった。
一回はいわゆる十二単で、かなり重たかったが、もう一回はやんごとなき方の男性装束で、これはパンツともいえる仕立て、歩くとチャリチャリと鳴る金属の紐のようなものがついていた。
私はここにいますよ、という知らせになるもので、仕える者にも便利だったはず。
こうした心遣いが、その時代、さりげなくあったことに驚く。

今の大河がいいのは、その柔らかい脚本と共に、主人公を演じる吉高由里子さんに負うところが大きい。
この人にはえもいわれぬ「揺らぎ」がある。
声も、演技も、揺らいでいる。
その揺らぎに、見ている側は同化する。

私は中途半端に「立派」な俳優さんが苦手で、見る側の余地を奪われるとガッカリする。
(本当に立派な俳優さんは、逆にさりげない)
役者さんは、自身の想像力を、そのカラダで表現する。
思えば歌い手と同じともいえる。
基本のキは、その人自身ということなのだろう。

ニンゲンを表現する仕事をする人の、最大の仕事は、だから自身を深めることなのだなあ。
浅い所と深い所で、見える風景は違う。
だから、ナニカシラとシンドイことがあっても、それはチャンスだと思いたい。

一生、自分の井戸を掘る。
まあ、そんなことなのかなあ。
なかなかのことではあるなあ。

ふう。