録画していたピアニスト、ブーニンのドキュメンタリーを見る。
ブーニンさんは最年少ショパンコンクール優勝者で、一時ものすごい人気だった記憶がある。
「そういえばこの人は今」のようになっていたが、実は病気にみまわれ、左足の手術で足が短くなってしまうという試練も受けていたと知った。

奥さまが通訳をされる日本人でもあり、東京にも家を持つブーニンさんの復活までの日々をNHKが追った番組。
思うように手も動かず、特殊な靴をはきピアノペダルを踏む。
昨年のサントリーホールでのコンサートは、即日完売だったほどの人気。

これまでも、こうして人生ドラマのあるピアニストをテレビで取り上げると、それだけで観客が押し寄せることはよくある。
数奇な人生のピアニストというのは、人の気をそそるものだ。
もうそれだけで十分な付加価値になる。

ただ残念なことに、こりゃないだろうと思う演奏会に行ったこともあって、私はこうしたアーティストに懐疑的にもなっていた。
でも、ブーニンさんの演奏には(テレビで見る限りではあるが)心をうたれた。

不自由になったカラダを越えようとするココロが、全てを凌駕している。
一つ一つの音に愛と慈しむが溢れる。
その昔超絶技巧で観客を圧倒歓喜させた若者は、ただただ一つ一つの音に人生を描く老人(失礼な!)になっていた。

この頃は、自分自身の好みが静謐なものへと変わっていることに気づく。
派手で見栄え聴き栄えのする音楽には、心が動きにくい。
それは演奏でも歌でもそうで、あやうくもろい美しさに心惹かれる。
こちらが耳を澄まし、その音の重なりに自分を重ねる。
すると音の中に自分が溶けていくような気持ちになる。
ナニカシラに包まれ許されるような感覚。

若い時にはなかった感覚だ。
これだから生き続けるって悪くないなあと思う。
歳をとるっていいことない、と母親はいつも言うが、これから先、歳をとって見えるものを、しっかり見とどけたいと思うのだ。