世界に誇れる日本人というと、今はまあ大谷さんが出てきそうだが、やはり、小澤征爾さんは特別の存在だった。
昔から特別の存在だった。

私は二度、見たことがある。
お会いしたのではなく、街角で「見た」ことがある。

その一が都心の交差点。
向こうから白っぽい麻のような上下の人と、それこそ風のようにすれ違った。
あ、小澤征爾だ。
瞬間にわかった。
なんだか得をした気持ちになった。

そのニが、地下鉄。
当時いつも乗っていた、自宅近くの地下鉄ホームに立つと、機嫌の良い会話が聞こえる。
そちらを見ると、なんとそこに小澤征爾がいた。
世界の小澤征爾がなんでここに。
あまりのことに呆然。
おそらく、周りの人もそうなんだろうが、小澤さんはなんてことなく、白いシャツの上下で、連れの女性と話している。
やはり風のようだ。そこにサワサワと吹く風のようだ。
きっと教え子かなにかだろう若い女性と、小澤さんは熱い喋り方のまま、やってきた電車に乗り込んだ。

小澤さんにとって世界はいつも「そこ」なんだなあと思った。
世界は広いけど、どこでも世界。
あそこもここも世界。
その間になんの仕切りもない。

小澤さんは、きっとこうしてなんの仕切りもないまま生きてこられたのだろう。
自身の中にある音楽の光を手に、自由自在に、風のように生きてこられたのだろう。

自由。この言葉がともすると悪しき標的のように言われることもある今。
やっぱり自由だよね。そして愛だよね。
自由も愛も、仕切りなんかないよ、世界に仕切りなんかないよ。そんなのあったりまえだよ。
ニンゲンのことだもの。

また一人、ニンゲンを愛した自由人の音楽家がいなくなってしまった。
とびきりチャーミングな小澤征爾さんに、合掌。

なんだかさみしいなあ。