永六輔さんには、本当にお世話になった。
色々な場所で色々な人と関わることができた。
コワい人だったが、永さんのおかげでどれだけの方々と関わりができたことか。

そのお一人が、民謡の伊藤多喜雄さんだ。
タキオさんと、私は呼ばせていただいていて、一時期にはタキオ沼にハマったように、あちこちのライブに出かけた。
TAKIOバンドと称して、ロックでもあり民謡でもある独時のスタイルで、それこそ血湧き肉躍るようなライブに興奮した。(その頃はポンタさんがドラムを叩いていた)

青森ではかっぺいさん主催のコンサートにご一緒して、タキオさんの「こだわり」を見ることができた。
このこだわりこそがプロなんだなあ、と、まあ何とかなるんじゃない的な自分をひどく恥じた。

それからもう三十年は経つだろう。
昨夜、表参道のギャラリーライブにうかがった。
津軽三味線と二人だけ、マイクもなし。
こういう小さいライブでタキオさんの歌を聴きたかった。

タキオさんは、変わらずオシャレなスーツで、以前よりぐっと引き締まった感じ。
でも、口を開くと北海道の人そのままで、ホッとする。
タキオさんは「人たち」を「人がた」と言う。
その言い方が、初めてお話しをした時と変わらず、一気に時が巻き戻る。

天才民謡歌手としてのデビューから、挑戦者の道を選び、歌ってきたタキオさん。
73才の今も、ひたすら歌と闘っているのだなあと思った。
歌と闘うのは、人生と闘うことに等しい。
楽な道はいくらでもあったろうが、自分自身への「こだわり」がそれを許さない。

今は表参道ヒルズという名前に変わった同潤会アパート。
その一棟だけが昔のまま残り、その中にギャラリーがある。
昭和初期の建物と、タキオさんのマイクなしの歌と若い三味線奏者と。
時空の交錯する一夜になった。

そういえば。
私もずいぶん前、浅草の蔵でマイクなしライブをしたことがあった。
声が裸にされる状況は、なかなかに大変だったが、今も時々思い出す。
今だったらどんなふうに歌えるだろう。
いや、果たして歌えるだろうか。
想像するだけでもドキドキする。