思えば二月には、人を送ることが多かった。
たいていの場合、え、まさかという突然の知らせ。
その中には、シャンソンの世界で知り合った人も多い。

「銀巴里」でマネージャーをしていたMさんなど、私と年も近い。
後年、息子さんと音響の仕事をしていて、彼が亡くなるなどまったく予想もしなかった。

ちょうど「わが麗しき恋物語」が話題になった頃に歌っていた、シャンソンの店のHさんもまた。
もともとは歌謡曲歌手でデビューしたものの、辞めて店を開いてからは一切人前で歌わなくなった。
でも、彼の歌う美空ひばりはなかなかのものだった。

親しいと親しいぶん、自分の中のどこかが持っていかれた気持ちになる。
アンパンマンじゃないが、どこかカラダの一部が、削られたような気持ちになる。


能登の大地震から、昨日で一ヶ月。
家族全員を失ってしまった人や、迫り来る火災の中、お母さんを瓦礫の中に残して去らざるを得なかった人など、テレビで見るだけでも辛い。
複数のテレビカメラが囲む中、どんな思いで対応されていたのだろう。
その心持ちを思うと、また一層辛くなる。

でも、明日は我が身なのだと、いつも思う。
石巻で被災した時も、ああやっぱりと思った。
生まれて初めて来た場所で千年に一度などといわれる震災に遭っても、どこかでああやっぱりと思っていた。

明日は我が身。
これは、他のことでも思うことで。
例えば難民。
私たちがいつなんどき難民になるか、そんなことわからない。
原発事故のあと、西に逃れた人は、もう難民だった。
そうか、何でもありなんだと思った。

明日は我が身。
厳しく辛いことだけど、いつも自分に言い聞かせている。