底冷えのする一日。
区役所に出かける。
毎年、新年早々に父親の年金手続きがある。
現況届けというもので、今現在、本当に生きているのかの証明を提出せなばならない。

もともとは自身でしていたものだろうが、私にまかされてからどのくらいになるだろう。
そして、そのたびに、こうして年金を受け取れる幸せを思う。
終身雇用の、幸せな時代を思う。

ずいぶんと昔、父親がメーデーのことを話した。
若い頃、職場のみんなと出かけたら(そういう時代なんだなあ)乱闘になって、その何人かが捕まってしまったという。
そして、その人たちはクビになった。
「デモなんて行くもんじゃない」とその頃を振り返る父親に、若い私は失望した。
そんなの臆病すぎる、若者は権力と闘うものだという、これまたその時代ならではの、なまっちろい「論理」があった。

でも。
その臆病のおかげで、私はちゃんと生活できた。
大学にも行かせてもらえたし、好きなことをさせてもらえたし、今、老人となった父親をホームに預けることもできた。
長生きしている父親は、働いていた年月より、年金をいただく時間の方が長くなったろう。
毎年「すみませんねえ、まだ生きてるんですわ」という気持ちで現況届けを出す。

思えば、幸せな時代のサラリーマンだった。
週休一日でも、残業だらけでも、幸せな時代のサラリーマンだったと思う。
勤め上げる、という言葉がふさわしいサラリーマンの時代を生きたのだと思う。

今、そんなことが砂漠の蜃気楼のように思える時代。
まあ、しょうがない。
天災にも戦争にも負けず、それこそ自分の目に溜まった朝露の水分で生きる砂漠のカメレオンのように、がんばるしかない。
これが私たちの時代だもの。