コロナ禍があってから、いわゆる「飲み会」というのが激減した。
いや、無くなったといっていい。

コンサート後の打ち上げもなく、少しコロナが収まると、とりあえず楽屋乾杯みたいな簡単なもので終わる。
以前のように、どこ行こうとワイワイゾロゾロ連れ立って店を探したり、元気なら二次会になだれ込むなども無くなった。

それでも、だんだんに少人数で食事会ができるようになった。
どこの店も、どうやらそんな風で、年末の店はいっぱいだ。
昨日も、店先に「ご予約でいっぱいです」という貼り紙があるのを見て、なんだか胸が熱くなった。
ついにここまで来たか。
コロナ禍の最中、ここの静かな店内で、それこそ黙々とアルコール無しの食事をした記憶が蘇る。
もう二度とあんな思いは嫌だなあ。

芸能界で、どなたかとご一緒に、ということもほとんどない私だが、昨夜タブレット純さんとご一緒した。
この夏、初めて二人で差し飲みをして、それは何だかとても不思議な時間だった。
今回はちょっとした仕事がらみでもあって、四人。
タブレットさんが、実はシャンソンを習っていたこと、シャンソンの店のこともご存じなのに驚いた。

私ももともとは流行歌(はやりうた)の歌手になりたかったニンゲンだ。
昭和の歌たちには、思い入れがある。
というわけで、これなら二人で、ナニかしらできることがありそう。
来年の楽しみができた。

その頃までに、今世界で起きている戦争が終わりますよう。
希望と絶望は、同じ重さで私の日常にのしかかる。
「明日またお会いしましょう、もしも明日があるなら」
昔作った曲のリフレインが頭に流れてくる。