父親のパジャマを届ける。
いつもは、一階のホールで面会をしていたが、エレベーターで移動させるのも気の毒なので、二階のホールにそのまま向かう。

そこは、入居者の方々が集まっている場所で、コロナの間は立ち入ることもできなかった。
入っていくと父親はなにか絵のようなモノを描いている。
「家はどこだっけなあ、わかんなくなっちゃった」と言うので見ると、それは地図だった。
紙の後ろは塗り絵で、もうすでに綺麗に色が塗られている。
すぐに終えてしまうので、きっと「お家の地図を書いてみましょう」とでも職員さんに言われたのだろう。
「困ったなあ、困ったなあ、わかんなくなっちゃったなあ、これじゃあ帰れなくなっちゃうよ」

父親が思い描いているのが、どの家なのかわからない。
ここに小学校が、この道路は4号線だ、とかいうのを聞くとそこは越谷のようだった。
25年も前に住んでいた街だ。

話していても、帰る場所が故郷の水戸だったりするし、今の東京の家は、とうに記憶の外になっているのだろう。
新しいものから忘れていく。
古いものはそのまま残る。
ボケた人に共通する記憶たち。

職員さんが昔の歌謡曲のCDをかける。
三橋美智也さんや千昌夫さんの歌が流れる。
どの歌も歌えるという車椅子の女性が、手でリズムをとって歌う。
目を閉じ、ずっと誰かに返事をしている女性も歌う。

大震災の後、石巻で、高台の施設に移った老人たちが「上を向いて歩こう」を、私に合わせぷつぷつと歌っていたことを思い出した。
みんな言葉さえ忘れた人たちだった。
その時の老人たちと、今の老人たちが重なる。
歌、ってすごいなあ。

別れることはつらいけど
しかたがないんだ君のため
別れに星影のワルツを歌おう

先だって母親もこの歌を「いい歌、大好き」と言っていたことを思い出した。
本当にいい歌だ。
口づさむと、ふっと涙が出ることがある。

別れに星影のワルツ。
なんか、沁みるなあ。