渋谷には、月一で用事があって行くが、目的地までは、なるべく地下通路を使い、用事が済むとまた地下通路へと、ほとんどネズミのようなありさま。

それが、ちょっと衣装を見に行こうということで、街中に出かけた。
ハチ公前の西武デパートは、まだそこにある。
そのA館とB館の間を抜けて、ロフトを横目に公園通りへと。
PARCOが全盛だった道の、山手教会の地下。
そこに渋谷ジァンジァンがあった。

夜毎、いろいろな人がライブをしていた。
それはお芝居であったりコンサートであったり、コントであったり舞踊であったりとさまざま。

人気の出し物の日には、隣のビルの角から人が並ぶ。
そのあたりにあった公衆電話ボックスは、松田優作のテレビドラマのオープニングでも有名な場所。
どこもかもが若者の熱気で熱かった。

そんなことを懐かしく思う自分のノスタルジーが、寂しい。
それでも、その渋谷ジァンジァンには思い出が多く、今私が歌っていられるのは、そこでのご縁のおかげでもある。

21世紀を待たず閉店したジァンジァンは、クラシック専門のライブハウスになった。
それはそれで仕方がないことだった。
なのに。
しばらくぶりに通りかかった、その場所にもうライブハウスはなかった。
キャバレーの呼び込みみたいな看板が一つ置かれ、そこにはスタジオという文字。
どうやらカラオケに毛の生えたようなスタジオになったらしい。

ああ。
そうかこれが時の流れか。
渋谷が文化を育んだ時代はもう昔なんだなあ。
いや、今だってこれはこれで文化なのだろう。
私の思うことは、やっぱりただのノスタルジーなのだろうなあ。

そう思おうとする。
抗おうなんて、思わない。
時はただ過ぎて行くものなのだ。

自分が大切にしてきた思いは、水面に沈んでいく小石のようなもの。
いや、人一人ずつの思いは、時代という流れの中、きっと累々と重なっているのだろう。
いろんな人の思いが積もり重なり、それでも水の流れのように時は淡々と過ぎて行く。

なんか、ちょっとずつ、生きてるってことがわかってきた気がするなあ。

眠ってる間に
夢見てる間に
時は流れ過ぎて行く
     
まさにこの歌詞の通り。


訂正。
このブログをアップした後で。
フルートの坂上さんから、まだクラシックスはありますとの連絡が。
ジァンジァンの時と違って、入り口が下にあったのでした。
失礼しました。
でも、良かった。