朝、母親の訪問診療。
先だっての血液検査の結果が出ている。
先生も驚く健康そのもの。
高い低いのマークが三つしかない。
どんどん健康になっている。

「この間ふっと思ったんですけど、100歳まであと五年なんですねえ、五年しか生きられないんですねえ」
聴診器をあてられながら先生につぶやく母親。

どうやらこのことが、現実を突きつけられたようでショックだったらしいが、一世紀生きればいいじゃんと軽く言えないような気になった。
誰だってもしかしたら明日死んじゃうかもしれないんだから同じだよとは、やはり言えるものではないのだ。


午後、今度は父親のホームに。
コロナ禍では立ち入れなかった二階の食堂に行く。
父親の椅子は決まっていて、そこに座ると落ち着くらしい。
ものすごく静か。
誰も誰かと話さない。

認知症が進むと、他の人のこと、外の世界のことがまったく目に入らないらしい。
ただひっそりと皆んなが、そこにいる。

と、突然、ぎええええと大声。
訪問している歯医者さんが、おばあさんの入れ歯を外して治療を始めたのだ。
おばあさんは、顔を真っ赤にして罵詈雑言。
その様は、無念にも首をはねられようとしている戦国武将の最後の闘いのようだ。
そのおばあさんが104歳というのだ。
この人こそ、あと5年はいくな。と思う。

父親はそんな中でも、おしゃべりをしたそうで、こんな所(この言い方は申し訳ないが)にいさせることに、また胸が痛くなる。
でも、しょうがないのだと、これまで何百回も繰り返してきた自問自答が苦しい。

にしても。
老親二人は、そうそうくたばらなさそうではある。
下手をしたら、こちらのほうがあぶない。
くわばらくわばら。
元気な親に感謝と畏敬を。

ま。元気でいなくちゃな。私。