長い間、ボケるのだけは嫌だと思ってきた。
ボケるくらいなら死んだほうがましだと思ってきた。
でも今、老親を見ていて、その老い方の二通りを見ていて、いやいや、ボケこそ人を救うものかも知れないと思うようになった。

母親のアタマは、まだまだ確かだ。
口跡などハッキリしていて、電話で聞いたら自分とたいして変わらないのではないかと思うほど。
でも。
カラダは正直だ。

昨夜、母親の入浴の手伝いをしていたが、この手伝いは、どんどん増えていく。
本人のプライドがあるので、自分でできると頑張ってきたことを、少しずつ私が譲渡されるような感じだが、やはりはぎとるようにでも、してあげたほうがいいのだ。
切ない。切ないが仕方のないことだ。

こんなにカラダの機能は衰えているのに、アタマはしっかりしている。
耳も目も半分は使い物にならないらしいが、それでも口はしっかり動く。

それはそれで素晴らしいとも思うが、これからのことを思うと、複雑な気持ちになる。
私以外の誰かの世話になることが増えていくであろう日々に、どれだけツラい思いをするだろうと考える。

母さん、もうちょいボケたほうがいいよ、と言ってみるが「いやあよ」。
そりゃそうだろうなあ。

この先、ある種世間知らずなこの人が、嫌な思いやツラい思いをなるべくしませんようにと、祈るような気持ちだ。
「ありがとう」を繰り返す、小さくなった母親に、冷たい風が吹きませんように。
これが娘の願いです。