一週間ぶりに会う父親は、腹が減って腹が減ってと言う。
今しがた職員の方から、お昼ご飯もほぼ完食し、このところ夜も良く寝ていると聞いたばかり。

持参したバナナを取り出し、今日はもうお昼ご飯食べたんだよ、これからおやつの時間だからねと言うと。
初めは信じられない様子だったのが、だんだんに元気がなくなっていく。
そんなことも忘れてしまう自分の頭にがっかりしているのだ。
誰かに迷惑をかけていないかと心配するので、大丈夫父さんは誰にも迷惑なんかかけてないよと、いつも通りの「大丈夫」連発をする。

こういうことは、日による。
その日によって、心はさまざまに変化する。
心の中に鬱屈するものが、日によって違うのだろう。

父親がホームに入所して来月で二年になる。
あっという間だった気がする。
足は確実に衰えたし、頭の具合も変化しているが、今さらに思うのは。
人は一人一人みんな違うし、その一人も日毎に違うこと。

当てる光の具合で見える色が変わるように、まあほんとに人間は複雑だ。
でも、もしこれを「万華鏡」に例えたらどうだ。
そうだそうだ、人は万華鏡なのだ。

若くても老いても、人は万華鏡なのだ。
そう思えば、いっそう愛おしさが募る。
悲しみに覆われそうになっても、そこに光が見える。
救いの光が射す。

さあ、次は何色が見えてくるのだろう。
大丈夫大丈夫、何色でもオッケーです私。