再来週の東京公演のリハーサル。
ゲストでお迎えする瀬間千恵さんがいらっしゃる。

瀬間さんは、まったく年齢不詳の美しさで、とはいえ、大先輩でもあり、その変わらないオーラに感じ入る。
私はオーラという言葉に懐疑的だが、瀬間さんを見ると、やはりオーラはありかなあと思ってしまう。

私が「銀巴里」に入った時から大御所で、しかも桐朋学園大学一期生、あの小澤征爾さんと同級生。
「小澤くん」と当たり前のように呼ばれる。
もう音楽史の生き字引のようだ。

畏れ多くも、そんな瀬間さんをゲストにお呼びしたのだが、どうしても聴きたい歌があった。それが「幸せな愛などない」。
昔、この歌を瀬間さんが歌われるのを何回も聴いた。
そのたび、どこかがつまずいた。
若い私の中のどこかが、何かを拒んでいた。

それがなんだったのか。
昨日、ピアノ一本の伴奏で聞く瀬間さんのこの歌は、それこそ五臓六腑の深い所に降りていった。
ああ、こういうことかと、それが何なのか説明できないのに、深く深く降りていった。

歌は時とともに生きる。
ただ時の流れの中で、生きる。
歌は生き物なのだ。
常に姿をかえる生き物。

コンサート当日、どんな「幸せな愛などない」と会えるのだろう。
歌の道を歩き続ける先輩の美しい姿に、背筋だけはピシッと伸ばして生きようと思った。
覚悟とプライドのピシッ。
何があってもピシッ。
うん。