11年前の、その年も押し詰まった頃、母親がケガをした。
自転車で人とぶつかり転倒、両手がねじ曲がるような骨折をした。
時期が時期で、病院も閉まっている所だらけ。
救急車が運んでくれたのが、国際医療研究センターだった。
もちろん入院はできない。
ガガガととりあえず骨を固定して帰宅。
それが、今にいたる親の介護やら世話の始まりだった。

その研究センターが朝、登場した。
大好きなサンドウィッチマンの「病院ラジオ」という番組だ。
そこに入院している人たち、あるいは家族を、病院の一角に急遽設けたラジオブースに招き、その模様を病院の中に流すというもの。
コロナ禍の時には、会いたいけど会えない切なさに、見ているこちらも涙した。
今でも、そう。

病気、病院ほど切ないものはない。
今朝も、サンドウィッチマンの二人のなんとも言えないあったかさと、この病院ならではの難病と闘う人たち、その家族、そして医療者たちの姿に、ボロボロ勝手に涙が落ちる。

こうして一つの命を、人は救おうとする。
守ろうとする。ただただ慈しむ。
特に子供の難病ほど、辛いものはない。
子供は病の中で、時に神々しいほどの、まるで哲学者のような高みにのぼっていく。
それが、なおさら切ない。
切ないなどと他人が言えるものではないだろうが、やっぱり切ない。

私自身は、ちょうど小学校入学前に急性肋膜炎で一ヶ月ほど入院したが、そこで育った感情は、今の自分の根っこにあるような気がする。
そして、今でもオルゴールの「トロイメライ」を聞くと、すぐにその頃にタイムスリップしてしまう。
叔母が、家にあったオルゴールを、私の枕元に置いてくれたものだが、これ一つでどれだけ救われたかわからない。

命、この儚く素晴らしいもの。
一人に一つずつ。
たった一つずつ。