ホームにいる父親が、時々焼き鳥を食べたいという。
もともと頑丈な人で、素直な食欲のある人なので(しかも歯はぜんぶそろっている!)どれほど焼き鳥を欲しているのだろうと不憫な気持ちになる。

で、一回焼き鳥を持って行ったことがある。
ところが、ちょうどその時、父親の関心が他のことにあったせいか、喜びも感動もせず、とりあえず口に入れましたという感じで、旨いも不味いもなく終わった。

まあ、こんなものなのだろうなあと思った。
父親にとっての焼き鳥は、もはや幻かもしれない。
そのほうがいいのかもしれない。

幸いだと思うのは、夏場にあった不調など、すっかり忘れていることだ。
熱を出したり、嚥下がうまくいかなかったり、そんないろんなシンドかったであろうことを、すっかり忘れている。
そんな時は神様にとても感謝する。

でも、計算やら字の書き読みなど、驚くほど衰えないので、時々この人はボケたふりをしているのではないかと思ってしまう。
「ずっとだましてたんだよ」と、それこそ死ぬ間際にニニっと笑って言われやしまいか。

そんなことを思いながら、隣の父親の目を覗き込む。
その目はどんどん澄んで色が薄くなっている。
「ヨメさんもらって子供作らないとな」
突然、そんなことを言う。
やっぱりボケてるな、と安心する。

名古屋では、好物の味噌煮込みうどんを食した。
2本分ほど、うどんが少ない気がした。
お新香やご飯のおかわりもなくなって、いよいよ世知辛い世の中だが、また今年もこうして、名古屋コーチン入りを食べられたことが嬉しい。

父さんにも、コーチン食べさせてあげたかったな。