公開テレビ収録。
たくさんの歌い手さんとお会いできるのが楽しい。
出番を終え、出口に向かっていると、大きな運搬車。
見ると中に人力車。
「東京力車」さんの人力車だった。
礼儀正しい、イケメン揃いの若者たちは、今も浅草を人力車で走っている。
日に焼けた脚がたくましく、美しい。
運搬車に乗せられた人力車は、しっかりベルトを通され、まるで生き物のよう。
ああ、浅草、行きたいなあ。

そこから取材に。
取材場所の、四谷にある老舗のシャンソニエは、名前は知っていたがおじゃましたことはなかった。
ビルの地下を降りる時から、そこには昭和が生きているのを感じる。
先輩高野圭吾さんの絵や写真もあって、そういえば高野さんは、今の私とそう違わない歳で亡くなってしまったのだなあと気づく。
好きなことだけをしてワガママに生きた人だったなあ。
でもそんな自分をいつもどこか恥じている、そんな人だったなあ。
思いは募る。

ワガママに生きて死ぬことは、生やさしいことではない。
でも、それに憧れる。
ワガママに死にたいと思う。
そのためにワガママに生きたいと思う。
でもこれほどムズカシイことはない。

このシャンニエのオーナーは、ダンディな年配の男性。
60年安保の時、デモをしていて、警察に追われ駆け込んだ場所が「銀巴里」だったという。
そこでシャンソンと出会ったという。
まるで歌かドラマのようだ。

この方もまたワガママに生きておられるのだろう。
ワガママには覚悟がいる。
私は、まだまだヒヨッコなのだなあ。