「母さん、もう出た?」
これが風呂場にいる母親への合図。
「出たよ」といえば扉を開け、バスタオル片手に濡れた母親を包む。

昨日は様子がおかしい。
声が小さい。
入るよ、とあわてて入ると、まだ閉じられたまま風呂場のドアから。
「立てないのよお」と声が。

ドアを開けようにも、母親のカラダがじゃまをしている。
やっと開いたところに、母親が脚を投げ出すように座っている。いや立てずに転がっている。

こんなことは初めて。
なんでこうなるの、が今目の前にある。
脇の下に手を挟んで起そうとすると痛い痛いという。
「ごめんね、こういう時の介護の仕方勉強してないんだ」と言いながら、でも、何とかカラダを反転させ、やっと立ち上がらせる。

母親は驚くことに風呂場には一時間もいる。
一年前にはほとんど毎日、今は、三日か四日に一回、一人で入る。
風呂に浸かるのは危険なので、シャワーだけだが、それでも一時間何をすることがあるのかと、常々尋ねていた。

だって足洗わなきゃね、というのだが、足は二本しかない。
先だっては髪を洗うのさえ忘れていた。
何をどうしたら一時間風呂場にいられるのか、聞いても
「ええっ、そんなに入ってる?」と本人が驚く。

立ってたら立てなくなった、という昨日は、自分でもことの次第がまったくわからないらしい。
推測すると、おそらく水分不足だろうと思えた。
いつもより遅めに行った母の家には、手付かずのお茶が残っていた。
うかつだった。シャワーの前に、水を飲ませるべきだった。

とはいえ、母親はその後何事もなかったように明るい。
シャワーはこれから30分以内、と娘に叱られながら、何だか明るい。
その明るさに救われ、でも、これでまた一つ階段を下りたのだなあと思う。

一段一段、人は階段を下りていく。
どこまで支えられるか、どこまで頑張れるか。
これから二人三脚の暮らしが続く。

まあ、なるようになるさ。