「世界のどこかでは 今日も戦いが」
という歌詞で始まる「涙」というシャンソン。
ジャック・ブレルの曲だが、この「どこかで」という歌詞が嫌だと言う人がいた。
「どこか」なんて、あまりに無責任な感じがするということだった。

今は「どこか」どころか、あっちでもこっちでも戦いが続いている。
あまりに、あっちでもこっちでもなせいか、逆にどこだかわからなくなる。

以前、オリーブで作られたアレッポの石鹸を使っていたせいで、その産地シリアのアレッポが内戦で廃墟になっていくさまが、辛くて仕方なかった。

先だってパレスチナのオリーブオイルを取り寄せるSNS情報を得た。
それはそれは美味しいオイルだという。
パレスチナも、もちろんガザも、そこにはオリーブが生い茂って、人々の糧になっている。

そんな、行ったことも見たこともない景色を想像する。
乾いた強い日差しの下、信仰と共に生きる人たちを想像する。
石鹸やオイルから、そこに生きる人たちとツナガる気持ちになる。
その時「どこか」は「そこ」に変わる。

光の見えない今、一つの光が、ガザ侵攻に反対するユダヤ人がデモをしているということ。
みんな同じ土地から生まれた民という思いなのだろう。
イスラエルだけがシオニズムだけがユダヤ人ではないのだった。

パレスチナのオリーブオイルは、どんな味がするのだろう。
アレッポの石鹸と同じように、深い緑色なんだろうか。