子供の頃、大好きだったテレビ番組が、ディズニーのものだった。
なんという番組名だったか、そこでは、たしか四つの国に分かれ、その中でも、動物の国と物語の国が大好きだった。

物語の国では「リップバンウィンクル」。
日本でいうなら浦島太郎のような話だったが、森の中で遠くから「リップバンウィンクル〜」と呼ぶ声は、いまだに耳の奥に残っている。

そして動物の国。
いろんな動物の生活を、ドキュメンタリーのように描くのだが、今思えばかなり作為的だった。
でも、子供の心にしっかりと植えつけられたのは、正義(というようなもの)は、一つではないということだった。

恐ろしい猛獣たちにも、家族があって喜びも悲しみもある、それはニンゲンと同じ。
追い詰められ崖から落ちて死んでいく猛獣のシーンにどれだけ涙したことか。
ニンゲンだけが正しいのではない、この世界は他の命で満ちている。
それぞれの尊い命で満ちている。
(それから、たとえばチャンバラなどでバッタバッタと斬り捨てられる「その他大勢」の人たちのことが気になって仕方なくなった)

ディズニーが日本の子供に残したものは、大きい。
追い詰められる猛獣が、先住民のインディアンと同じだとは、まだ気づかなかったが、モノゴトは多面的だとは知った。


クマが、ヒトと遭遇するようになった。
異常気象で木の実がなく、人里に下りてきて大騒ぎになる。
キノコ採りの人とバッタリ出会い、子熊を守ろうと必死に攻撃する親熊の姿に、クマにはクマの生活があるのだと、当たり前のことを思う。

クマに殺されるのはイヤだが、クマにも人生ならぬ熊生がある。
どうしたらいいんだろう。

木の実撒き大作戦なんてのは・・・。
やっぱりダメだろうなあ。
うまくクマたちが冬眠に入れるといいなあ。
なんとかならんかなあ。