父親のホームに二週間ぶりに行く。
突然の発熱は、やはり風邪だったらしく、二度のコロナとインフル検査の結果もシロだったと聞く。
やっと元気になってきましたという職員のかたの言葉に、どれだけのお世話を受けたのだろうと思う。
もう自宅では無理なことなのだと、いまさらに思う。

いつもいつも、心の奥に申し訳ないという思いがある。
お前は親を捨てたのじゃないかと、責める自分がいる。

このあたりは、同じような境遇のかたなら、誰でも経験することだろう。
まさに「身を斬られる」ような、いや、「身を裂かれる」ようなと言った方がいいかもしれない。
モノゴトをけっこう合理的に考える私でも、しんどい。

もう歩けなくなっているかと思ったら、父親は手を取られながらエレベーターから降りてきた。
ああ、良かった、この人は元々頑丈な人なのだ。

ムセることが増えたので、食事もトロミをつけているそうで、もう好物のミカンも持っていってあげられない。
「もうすっか疲れちゃったなあ、歳だなあ」と呟く父親はどこか無念そうだ。

95歳の疲れというのは、大変なものだった。
それは家にいる母親も同じ。
日に日に変わっていく。
そうか、そういうことなんだなあ。
父と母を見ながら、最後の授業を受けている気持ちになる。

こんなこと言っていいのかわからないんですけど、とホームからの帰り際に、玄関で職員さんが。
「この前、テレビをつけていたら、突然お父さまが、あ、クミコだっておっしゃって。私は気づかなかったのに、すぐにわかるんですねえ」
ひゃあ、なんちゅうことでしょう。と笑ってみせたが、帰り道泣きそうになった。

ったく。親ってのは。