父親のホームに母親と行く。
体調を崩していた母親にとっては二ヶ月ぶり。
ちょっと緊張している。

私はずっと父親の様子を見て来たので、その変化はなんとなくわかっている。
記憶に一貫性がないのはわかっているが、ますます局所的になっている。
その日その日で、心を占めるものが変わる。

時々「母さん」という言葉に、自分の母さん、つまり祖母のことだと思うこともある。
なので「ママ」と言い換える。
私は母親をママと呼ぶことがほとんどなくなったので、新鮮な気持ちになる。
ママは元気か、と父親が聞く。

そのママとの再会だが、会うなり抱き合っていた頃は、もう遠い。
母親はそう望むのだろうが、父親の目は遠く,
でも近いところしか見えない。

母親の手に父親の手を重ねる。
そのくらいしか、娘にできる親孝行はない。
パパの手、冷たいねえと母親が言う。
そしてなんでこんなに冷たいんだろうと、その手をさする。
これも毎回のことだ。

父親の眼は、だんだんにますます、遠くなっている。
それは認知症の進行というのかもしれないが、私と母親をまだ認識できる。
それが救いだ。
本人には救いかどうかはわからないが、私たちには、特に母親にとっては大きな救いだ。

でも。
だんだんに遠くなる父親と会って帰ってくると、母親は元気がない。
ああ、この人の半分がなくなっていくのだなあと思う。
この人の人生の半分、出会い暮らした時間を分け合った人。
その人が遠くなっていく。

ますます小さくなる母親が、なんだか愛おしい。
切なくて愛おしい。