母親の具合が今ひとつなので、このところ一人で父親のホームに行っている。
炎天下に自転車を漕いでいると、ふうふうする。
ああ、冬もあったなあ、ふうふうしたなあと思い出す。
こうして、この同じ道を、夏も冬も走っている。
そんなことを思うと、涙が出そうになる。

父親の様子は日替わりだ。
でも、総じて落ち着いている。
昨日は会うなり「今日は他に誰が来るの?」と言う。
これだけしか椅子がないから大丈夫かなあと心配する。
「誰も来ないよ、私だけだよ」と答える。
「誰にも迷惑かけちゃいけないからなあ」と言うので。
「誰にも迷惑なんてかけてないよ、みんなパパのこと大好きだよ」

父は何を見ているのだろう。
今日は綺麗に撫でつけられている髪を撫でながら、その頭を見つめる。
この頭の中は、いったいどんなふうになっているんだろう。
つい二年ほど前には、家にいたのだ。
家にいて、母親と歌を歌っていたのだ。

よちよち歩きが、なおさらよちよちになった母親がショートステイを考え始めた。
父親と一緒にいられるのは良いことではないかと思うが、なかなか踏ん切りがつかないようだ。
入所ではないものの、父親を入所させた時のトラウマがあるので、娘としても強引にはできない。
あんな哀しい思いは二度とごめんだ。

別れはどんな場面でも、見送る方が辛い。
去る者より、見送る者のほうが辛い。

そこには見えないトロトロとした糸が繋がっているようだ。
その糸がきっと縁というものかもしれない。
父と母と私には、親子という縁の糸が繋がっている。
ずっと繋がっている。
まだまだ繋がっている。
長い糸だなあ。