ほんとに最近のことなのだけど。
ふと、自分がとてもイヤなニンゲンになった気がすることがある。
上から目線というか、何かしら「したり顔」で発言しているような、そんな自分に気づいてあわてる。

一番なってはいけない者になってしまったのではないか。
そう焦る。

長く生きていると、それ相応の経験があるから、モノゴトを測るのに、自分基準ができてくる。
でも、これが鬼門で、ついその自分基準こそが正しいと思ってしまう、思ってしまいそうになる。

これが一番危険だ。
個人的に、一番なってはいけない、なりたくないと思っていたニンゲンに重なる。

こんなふうに、まだ気づけるうちはいいのかもしれない。
私は、どこまでもふにゃふにゃと柔らかい自分でありたいと思っている。
その理想を、現実の中で忘れてしまいそうになっているのだろう。

今の朝ドラが、牧野富太郎さんを主人公にしていることはラッキーだった。
社会のヒエラルキーの中でもめげずに、ただ植物に生きた人は、現実には相当に扱いにくい、あっちこっちとぶつかる人ではあったろう。
それでも、明治に、あんな明けっぴろげな笑顔を残した人はいない。
その笑顔の写真たちが、なによりも雄弁にその生き方を語る。

心に自由を。
風のような自由を。

最近の自分への疑問や警告は、もしかしたら、この朝ドラを見ているせいかもしれないなあ。