二文字熟語で、一番苦手なのが「根性」だ。
小学校の時の担任が、この根性好きで、閉口した。
何かにつけて根性根性。
クミコは根性が足りないと、どれだけ罵倒されたことか。
そんな私は東京への修学旅行で「根性」と書かれた東京タワーの置物まで買ってしまった。

この教師は、こうしてある意味マインドコントロールをしていたのだと思う。
今思っても辛くシンドい二年間だった。

これほどヒドい教師には、その後出会うことがなかったが、中学の時の担任が、ある日何を思ったか自分の半生を語り始めた。
自分がどれだけ悲しい思いをしてきたか不運だったか、ときに泣いて語った。
もう教師にはだまされないと密かに思っていた私は、その涙に自己愛を見た。
やってらんねえよ、こんなの。

教師というのは、本当に大変な仕事だ。
でも、子供というのは、子供という人格なのだ。
それを侮ったりしたらアカンぜよ。
子供は人をちゃんと見てるんだ。

この暑い中、なんでこんなことを思い出したかというと、先だっての高校野球で優勝した慶應高校のことがテレビで流れていたからで。
そこで、森林監督の柔軟さや自由さが取り上げられていて。
そういえばサッカーの時も、野球の時も、優勝すると監督にスポットライトが当たるなあと思い出す。

どこもかしこも閉塞感だらけの中、それを一点突破できる、した気になるのには「監督」なのだろうなあと思う。
これまでの上から下への立場じゃなく、それぞれを認めながらまとめていく、それが今歓迎されているのだろう。

教師も監督も、指導者ってのは大変だ。
教育学部卒業ではあるが、教師になろうなど思わなかった自分は正解っ。
自分一人さえ持て余してるんだもん。