このところステージで「ヨイトマケの唄」を歌うことが多い。
キャンペーンとかではなく、最近では老人ホームでも歌っていた。
そこはいわゆる高級老人ホームで、私などとても入ることはできない。
そういう場所でも、この歌を唄う。
大丈夫かしらと思っても唄う。

エンヤコラ、と初めの掛け声は時には笑いを誘う。
それでも、聴いてくださるお客さまの心に、何かしらの波が立っていくのがわかる。

こんなに綺麗になったこの国の、その前の前の姿が炙り絵のように浮かび上がる。
今は死語のような、あるいは封印されたかのような「貧しさ」が、浮かび上がる。
そして、それはやはり誰にも懐かしい。

この歌を私が唄えるようになったのは、ここ数年の父親の変化に起因している。
この歌の主人公と同じ戦後のエンジニア、地方から上京し、企業戦士になり、家族を守った。
その人が、今は無垢な子供のような目をして怯えたりしている。

人の一生、時代の一生。
そんなものがパラアと広がる。
なんかわからんけど、ニンゲンて哀しいなあと思う。
哀しいけど愛おしいなあと思う。
もうどうしようもなく哀しくて愛しいなあと思う。

昨日、若く美しい歌い手さんのディナーショーのゲストに招かれた。
そこでも「ヨイトマケの唄」を唄った。
それから彼女の希望でオリジナルの「私は青空」を二人で唄った。
私が美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」を唄うように、「私は青空」も、こうして若い方が歌い継いでくれていることが嬉しかった。

人には限りがあるけど、歌にはないのだろう。
歌は、ただ自由に時の河を流れていけばいい。