「ほんとにB29ってキレイだったわねえ。陽にキラキラ光って」
8月になると、母親はたいていそんな話をする。

そして津田くんの話もする。
線路の上を駅に向かって歩いていた津田くんのことは、これまでも書いた。
でも、母親は毎年この時期に津田くんの話をするし、私ももちろん会ったことのない少年津田くんを想ってしまう。

津田くんはきっと小さな少年だったろう。
一人で口笛を吹きながら線路を歩く津田くんが、いつもはっきり見える気がする。
「峠の我が家」これが津田くんのオハコだった。

母親は津田くんを知ってはいたが話したこともないという。
ただ、自分の通る道の下にある線路を、口笛を吹きつつ歩く津田くんが気になっていたのだろう。
もしかしたら、なんとなく好きだったのかもしれないなあ。

その津田くんは空襲で死んでしまった。
8月2日の水戸空襲で、軍事物資を運ぶ線路伝いは多くの爆撃を受けた。
偕楽園と線路を挟んだ母親の家も焼けた。

帰ろう故郷の我が家へ。
と歌う「峠の我が家」はアメリカの歌だ。

どこの誰だって、みんな家に帰りたいんだ。
戦争なんてしたいわけないんだ。
どこの国の誰だって。