この季節、ということなのか。
お墓のことをテレビで取り上げている。

驚いたのが、火葬場が混雑しているということ。
二週間も順番を待たねばならぬそうで、ご遺体の預かり料が一日二万とか。
こういう話が、だんだん他人事ではなくなっている。

私の父親は、元気だった頃、突然お墓のことを言い出す人だった。
死んだらどこへ入ると大騒ぎをした。
まあ、大人数の兄弟の下から二番目だから、そういう心配や不安が心の奥底にあったのだろう。
母親は反対に、そんなことどうでもいいという人で、死んでみなきゃわからんと言った。
まあ、どっちもどっちだが。

で、二人の故郷、茨城の水戸駅から車で延々走ったところにあるお墓を手に入れた。
もともと、母方の祖先が眠っているらしかった。
そこでバラバラになった骨を集め、塔のようなものを建てたのだが、今となっては、元のバラバラこそが、自然そのままだったような気がする。

そんなことも、とうに忘れ、今だけを生きている父親に、お墓まで行くのも大変な娘は途方に暮れる。
何も残さないこと。
これが生きる基本のような気がする。
明日のことはわからない。

それは、大震災で襲ってきた津波に破壊されたお寺を見ても思ったことだった。
なあんにも残らないのだなあ。
ばたばたと倒れた墓石に、つくづく思った。
明日のことはわからない。
なあんにもない状態でアチラへ移りたいものだなあ。
それが一番むずかしい。