いつも母親と私のことを気にかけてくれるKさんが、この暑さの中訪ねてくれた。
先月、大切なお友だちを亡くし涙にくれながらも、私たちを気遣い、母親に電話をかけてくれた。
ありがたいことだ。

家を訪ねてくれたのは、私の新しいCDを、亡くなったお友だちに(正確にはご家族に)届けたいということだったが、もうこの世にはいないその方のお名前をサインしながら、これもすべてご縁なのだなあと思えた。

「今日は原爆の日ですね、朝手を合わせました」と、お茶を飲みながらKさんが言う。
思えば、「INORI〜祈り〜」を歌っていた頃、Kさんたちが、皆んなで折り鶴をたくさん折ってくれた。
その翌年、彼女の故郷福島は、原発事故で大変なことになったのだった。
あの時、私は何かチカラになってあげられただろうか。
思い出そうとしても、もうすべてがぼんやりしている。
広島に通った日々と、翌年の石巻に通った日々と、大波に揺られたような年月が、ついこの前のような遠い日のような。

元々は父親の通う床屋さんだったKさんは、今は引っ越し、やむなく別の仕事をしている。
泣き崩れそうなことばかりだったろうに、Kさんはいつも強く明るくおしゃべりだ。
そのおしゃべりは、私の母親を励ます。

こうして、これまで色々な方々に助けられてきた。
足を向けては寝られない方々ばかりで、どの方向もダメだ。
もう足を上に上げるしかない。