今月リリースするCDのジャケット写真は、前にも書いた通り戸澤裕司さんにお願いした。
戸澤さんとは、東日本大震災後の「きっとツナガル」でもご一緒した。

戸澤さんの師匠は藤原新也さん。
文筆家でもあり写真家でもある。
私はこのかたに相当に影響されている。
それは人の死生観とでもいったもので、万物流転、無常感がしみついてしまったのは、藤原さんのせいかもしれない。

「東京漂流」や「メメントモリ」は、若い私の脳細胞、感受性を直撃し、まあ、きっと自分の中のナニカシラ同じモノに呼応したのだと思うが、とにかく、ずっとずっとそれらが胸の中に棲んでいる。
変わらないものはない、人は犬に食われるほど自由だ、というメッセージが、いつもどこかに潜んでいる。
まったくスゴい人だ。

その藤原さんのお弟子さん、戸澤さんの撮られたジャケット写真は、自分で言うのもおこがましいが良い顔をしている。
構えのない、ただそこにいる人の顔をしている。
これが遺影になってもいいなあと思う。
もっとも、葬儀の類いは一切しないつもりなので、それもいらないか。

葬儀も何もいらない、人はただ生まれ、ただ死んでいく。それで良し。
あとは野となり山となる。
あ、これも藤原さんの影響ありだなあ、と今さらに。

さっぱりといきますか。
夏場の素麺のように。