歌の役割の一つに、誰かの涙の道筋を作ってあげること、というのがある気がする。
最初にこのことを教えてくれたのが、大震災後の石巻の方々だった。
高台に残った生協の店舗でのチャリティーライブ。
震災後から3ヶ月しか経っていない中、歌い終えた私に「ありがとう」という言葉がたくさんかけられた。
それは正確にいうと「泣かせてくれてありがとう」だった。

あまり悲しいと人は涙を忘れてしまう。
大きな災害だと、自分よりもっと悲しい人のことを思い、涙は出口を失う。
でも、歌を聞くと、その涙が自然に流れる、流れることを許される。
それが「やっと泣くことができました」だった。

昨日、仕事先で、上品なご婦人が私に近づき。
「今日やっと泣けました」と言われた。
「主人を亡くしてからずっと泣けなかったんです。でも、今日泣くことができました」
涙と共に重い荷物を降ろされたようなお顔だった。
その方の手を握りながら、石巻のことが思い出された。

人生の荷物は重い。
その重さは生きれば生きるほどに、わかってくる。
涙が出口を失うこともある。
だから歌があるのだなあ、音楽があるのだなあ。
涙の道筋のお手伝いをすること、これは歌い手の大切な役割かもしれない。

しっかりしないと。
新たに胸に刻みました。