肩のリハビリに行く。
先日のもらい事故で心配していた痛みも、大したことはなく、肩は懸命に治ろうとしているようだ。
会計を待っていると。
「クミコさん?」と女性が。
マスク越しだけど、親の家のご近所さんだとわかる。

まあ、こんなとこでと立ち話。
その女性も老齢のご両親がおられて、お母さまの大腿骨骨折から、お二人ともリハビリを兼ねた施設に入っているという。
「二人を預けた時、ふうとため息が出ちゃって」
「わかります、その感じ、ふうううってため息が出ちゃうんですよね」

これでしばし休息ができるという安心感。
重い荷物をとりあえず、誰かに託せる安堵感。
わかるわかる、その長いため息。

「でもねえ、また出てくるので、その時は大変ですね。でも、うちは兄弟がいるからまだいいですけど、クミコさんはお一人ですもんねえ」
そうですねえ、手がもう一つあるって、いいですよねと返事をしながら、でもどこでも、どの家庭でも、それぞれの大変さはあるんだものなあと思う。
大変さの比較は、だからあんまり意味がない。

その方は、ご自身も股関節あたりを悪くされている。
私のように、自転車をまたげないので、地下鉄を利用されている。
私なんか、まだまだ楽かもしれない。

雨の翌日の陽の光が、路上の私たちを照らす。
お日様は、誰をも照らしてくれる。
また心が軽く明るくなる。

暗い方向を向かないようにしよう。
暗闇を逃げ場にしないようにしよう。
介護世代は、みんな光を分け合いながら生きてる。
雨だって台風だって、光は必ずどこかにあるもんね。