この映画は何としても見ておきたかった。
それが、実家近くのミニシアターで、土日限定でかかると知った。
どこにあるのか、よくわからんまま自転車を飛ばす。
サイトの地図を頼りにするが、目印があっという間に変わってしまうのが東京の街。うろうろする。
上映時間を過ぎてたどり着くも、なんと私を待ってくれる。
「お入り下さい」と開けられた薄い木の扉の向こうが映画館。
喫茶店と変わらない。
15人ほどのお客の向こうに小さなスクリーン。
そして始まったのが「荒野に希望の灯をともす」。
アフガニスタンで復興作業に生き、死んでいった中村哲さんのドキュメンタリー。
35年間の記録だ。


泣くまいと思った。
泣いたら、それですっきりしてしまいそうな気がした。
すっきりしてはいけないと思った。

中村哲さんのされてきたことは、おそらく多くの人が知っていると思う。
医師としてかの地にわたり、そこではじめはライ患者の治療にあたり、そのうちすべての問題の根っこが貧困だと知る。
干ばつで砂だらけになった地に、緑を取り戻し、以前のように農業で生きられるようにすること、そのために、医師というより灌漑事業の労働者のように働く。
砂と泥にまみれ、石を運び、トラクターを動かす。

今から15年ほど前だったろう、中村さんの率いる団体「ペシャワール会」の若者が殺された。
伊藤さんという、その青年の、やっと緑になった地を静かに眺めている写真の、その後ろ姿を思い出した。
そして、この伊藤さんが殺された後、中村さんは言った。
「若者をこれ以上危険な目にあわせたくない」
そして、自分ががんばると。

そして中村さんはがんばった。
でも、殺されてしまった。
アフガニスタンを愛し、愛されたのに、殺されてしまった。
そのことを思うと、涙が出そうになる。
スクリーンを見ながら、そのことを思うと泣きそうになる。

斜め前の女性がずっと泣いている。
すすり泣きがずっと続いている。

一時間半後。
外に出て、それからパンフレットを買った。
きれいな青空とあたたかい春の日差し。
私は今、ここで生きている。

夜。
そのパンフレットを開いた。
中村さんと生きた多くのスタッフの人たちの証言や、写真。
そこには伊藤さんもいた。
笑顔だった。
涙が勝手に落ちた。
ぼとぼと落ちた。

中村さんがしようとしたこと。
それは「荒野に希望の灯をともす」こと。
荒野を絶望と置き換えてしまいそうになるが、中村さんはそんなこと微塵も思わなかったろう。
最後の最後まで。きっと。

私は、中村さんをココロの灯にする。
これからの希望の灯にする。
絶望なんかに負けないよう、歩く。