今年に入って。
父親と会えたのは、これで四回だった。

その間、インフルエンザ、ノロウィルス、そしてコロナ。
老人施設のむずかしさを否が応でも突きつけられた。

母親を連れて、ホームの玄関に行くと、ちょうど帰ろうとする女性が。
扉の向こうには、車いすの男性。
ご夫婦だ。
昨日から、やっと面会解禁になり、うちだけじゃなく入居者の家族が次々と、時間をずらして訪れる。
「歩ければ、うちへ連れて帰れるのに」と、離れがたい気持ちを抑えきれない女性が職員に、そう言う。

車いすの男性は、おそらくまだ80代だろう、身ぎれいで、入所間もないような風情。
ずっと去っていく女性をみている。
そのうち、外へと職員さんにいざなわれ、またずっと女性を見送っている。
ああ、切ない。

思えば一年前、父親もまたこうして入ってきたのだった。
私の人生で一番悲しく辛い別れだった。

もう私たちのこと忘れてんじゃないかしらと、不安そうな母親と父親が来るのを待つ。
父親は、この約一か月の間に、確実に弱っていた。
カラダもココロも、どこかふうと芯がなくなっているような感じだ。
でも、私たちのことはわかる。
これが家族なのだなあ。

髪も伸び、眉毛もばさばさで、廊下に貼ってある去年の父親の写真とは別人のようだ。
右手を母親が、左手を私が、それぞれ温める。
そうして約20分ほどの面会が終わった。

帰りのタクシー、二人の上に悲しい雲がかかる。
でも、きっと、一番悲しいのは私ではなく母親だろうと思った。

母親にとって父親は人生を連れ添った相棒、パートナーなのだ。
80年以上一緒に歩いてきた相手なのだ。
そこに横たわった長い時間の尊さは、子供にはきっとわからない。
その人の若いときから、こうして老人になるまで。
お互いがお互いをずっと見続けてきたのだ。


切ないことは増える。
でも、生きていく。
歩き続ける。
前を向いて歩き続ける。