ほぼ一か月ぶりに、母親を父親のホームに連れていく。
私は、この間一回だけ、それこそ隙間をぬうように訪ねていたが。
インフルエンザからノロウィルスと、老人施設では感染が早い。
封じ込めに一か月。

大変な一か月でしたと、職員さんがいう。
苦労をねぎらうと、いや、大変だったのはお客様(ここでは入居者をそう呼ぶ)と、ご家族ですとの返答。
たしかに、それはそうなのだった。

その一か月で、父親はあきらかに弱った。
これまでどこかにあった「芯」のようなものがふううと消えている。
それは消えたほうが、苦しみが少なくなるものかもしれないが、それだけ不憫な愛おしい気持ちが湧く。
親を不憫と思う日がくるのはつらい。

父親にしたら、一か月も一日も、同じかもしれない。
時間感覚は、なくなっているだろう。
そう思えば、より自由にこの世を飛び交っているのかもしれない。
それはまるで、シャガールの絵のようだ。

花束を胸に飛ぶ恋人や、それを取り囲む家々や風景や動物や。
シャガールが描いていたのは、生きるものの理想の姿なのかもしれない。
あ、そうだ、また「美しい日々」が唄いたくなった。
シャガールと奥さんのベラのことを唄った歌。
長谷川きよしさんとユーミンの作った歌。
何十年もの日々が一日のことのように思えてくる歌。


父さんの日々も、母さんの日々も、こうしていつか空を飛ぶのだ。