年末の父親の入院手術を経て、新年明け。
ご説明をいたしますということで、一人で病院に行く。
これこれこういうことでと、手術についての説明とこれからを主治医から。
毎度のことだが、今回違ったのは。
「これから」がなかったことだ。

いつもなら、定期健診の日程を決める。
それがなくなった。
今回、父親はこれまで以上に看護師さんを悩ませたらしい。
ここはどこだ、娘はどこだ状態。
これまでもあったことだが、だんだんと体力もなくなってきた父親が、まさか、より以上に大変だったとは。
そう言えば、前回は症状もひどくヨレヨレでの入院だった。
やっぱり父さん、まだまだ余力ありだなあと感心してしまう。

が、感心してる場合じゃなく。
これに懲りた病院側としては、94才という年齢も考え、もう手術をしないと決めたということらしい。
増殖したガンのもぐら叩きじゃなく、対症療法に切り替え。

余命を見越しての説明だ。
血尿が出て、おしっこが通りにくくなって、というガン末期のあれこれには、手術なしで対応する。
ふううううん、そういうことなのだなあ。
もうそんなに寿命がないだろうと、踏んでいるのだなあ。

憤りはない。納得もない。
だって、父さん、100才までがんばるかもしれない。
今は移ってしまったインフルで弱ってるけど、きっともうすぐ復活する。
だって父さんだもの。

「これから」がない診断。
ふうううん、そういうもんなんだなあと、気が抜けたようになった。
見えなかったゴールが、見える場所に持ってこられたような。

もうここには来ないかもしれないんだなあ、と病院を出た。
長いお付き合いでした。
お世話になりました。