今年初めの父親のホーム。
門松が飾られ、お正月な玄関。

父親は、暮れに会った時より元気そう。
元気だと、ときどきウオーと自分にはっぱをかけるような声を出す。
それは、家にいた時とまるきり同じなので、懐かしくうれしい。

師走の手術も入院も、もうすっかり忘れている。
これまでのいろんなそれらも、すっかり忘れている。
これは神様のおかげのような気がしてくる。

父親を見ていて、「ボケ」というのは、本当に神さまからのプレゼントな気がしてくる。
今までご苦労さまでした、いろんなことごとで悩み苦しんできたでしょう。でももうそこから自由にしてあげますよ。
というプレゼント。

ボケていない母親には、時として「取り残された感」があるのだろう。
それでも、元気でいてくれるのは誰にもうれしい。


いろいろとシンドイ気持ちになる両親のこと。
ここから解放されたいと思うことも多い。
朝起きて、一日自由だったらどんなにいいだろう。
予定がなく、どこにでも、すきなように行ける日があればどんなにうれしいだろう。
あそこにも、あそこにも、ふらりと行ってみたい。
仕事か親か、その二者択一しかない日々。

一人になったことを夢想する。
すると、それは、大きな宇宙にぽつんと浮かぶ星のようなイメージ。
星以前の原子とかそんな、もっとちっちゃいもの。
それがぽつんと大きな果て無い宇宙のような空間に浮かんでいる。
サビシサというのでもないような心もとなさ、果てしなさ。

もしかすると、これは生命のはじまりと同じかもしれない。
生命には始まりも終わりもない。
そう思ったら、なんだか安心した。

こんなにちっちゃいもんね、ニンゲン。
無限の中で、こんなにちっちゃいもんね。
ああ、安心した。

さ。また母親のとこ、行こう。