そうだった、父親のコートを取っていかなきゃ。
と、実家に寄り、クローゼットからダウンコートを取りだし自転車のカゴに放り込み病院に向かう。

去年、日常そのままでホームに入り、それから全く必要のなかったコートだが、入院受け付けは外だったことを思い出した。
なんせ古い病院だ。
本院だの分院だのとあっちこっちに分かれて建っている。
(今、新築に向けてそれこそ周辺の再開発中。)


ホームのかたに付き添われ、毛布にくるまれたような父親に駆け寄り、コートをさらにかける。
父親はなにがどうしたかまったくわかっていない。

古い病院は、システムも古いので、入院手続きも時間がかかる。
アナログってやっぱりダメだよ、とこんな時はつくづく思う。
特にコロナに入ってからは、付き添うことができないので、いちいち受け付けを通す。
病棟看護師さんは、よりハードな立場におかれる。


「お父さまが、混乱されていて、娘に会わせろとおっしゃっていて。事前に手術のご説明されましたよね」という電話がかかってきたのは、家にもどって二時間ほど後のこと。
入院という事態で、父親がまた騒いでいるのだな。

「父が認知症であることは、お分かりですよね」と、冷静に答える。
看護師さんも大変なのだ。
そうはいっても、認知症の病人など見飽きるほどいたはず。
その理性を崩すほど、ハードな仕事なのだろうと申し訳なく思う。


そう言えば急性硬膜下血腫の入院手術の時もタイヘンだった。
暴れるので、一週間の予定が三日で帰された。

そして今回もどうやら。
担当医からの電話は、すっかり疲れた様子で、なるべく早く退院させるため努力しますとの悲壮感。

あんなに衰えたはずの父親だが、どうしてどうして。
これを生きるチカラが残っているといっていいのかどうか。
もうわからない。

静かで穏やかな老衰への憧れは、どこかへ消えた。
いやいや、父さんもう少しの辛抱だ。
はやく退院させてもらおう。ね。