一昨日のコンサートを見てくださった残間里江子さんが、ご自身のブログで、金子由香利さんとの月日のことを書いておられた。
一気に「あの頃」が押し寄せた。

シャンソン歌手になろうと思ったことはなかった。
今もはたしてそうなのかどうかわからない。
ただ、金子さんの舞台を当時の西武劇場で見た時が、私の歌の分岐点になった。

それまでの越路吹雪的シャンソン感が、全部ひっくり返った。
ゴージャスな衣裳や舞台の越路さんと、黒一色でなんの飾りもない金子さんの舞台。
そして、何より、歌そのものが違った。
演劇的手法で観客を巻き込んでいく越路さんと、言葉を紡ぐように唄っていく金子さん。
まだ20代の私は、客席でただ泣いていた。

「うちに帰るのが私は怖いの」と金子さんが唄えば、そこには果て無く深い闇が見えた。
金子さんの脇に大きな闇が広がって見えた。
そして、なぜがその時、きっと私はこういう闇と、これから闘っていくのだと思った。

金子さんの歌は、どれもが彼女の人生観のように聞こえた。
思えば、まだ金子さんは若かったのだ。
50代にもなっていなかったはずだ。

そうかそうなんだなあ。
ふうと思い出し、自分がもう70代に手が届くことに驚く。
なんだこれ。時間軸が歪んでるぞ。


越路さんも金子さんも、そしてもちろん美輪さんも、それから高野圭吾さんも、私の歌の中には、こうした偉大な先人たちの歌の血が流れている。
この歌の血の流れは、これからどこへ行くんだろう。

そんなことを思いながら、それよりまず、母親の訪問診療に向かう。

寒い朝だ。