一日中、アタマの中を歌が流れていることがある。
父親が家にいたころ、毎日が格闘状態だったときには、「うっせえ、うっせえ、うっせえわ」がずっと流れていた。
なんとまあ、と思ったが、これも音楽のチカラなのだろうと思った。
それで、いくらかでもココロの均衡が保たれる。

昨日、あれ、これってなんだっけ、というメロディがずっと流れていた。
「神の思いのままに」というジルベール・ベコーのシャンソンだった。
唄ったこともないし、歌詞も知らない。
なのに、この美しいメロディが流れ続ける。
ベコーの歌は、英語詞がつけれれ世界的スタンダードナンバーになったものも多い。
この歌も、「レット・イット・ビー・ミー」の英語版で有名だ。


家から戻る夜の信号待ち。
立ち止まっている間も、このメロディが流れる。
夜の街で、すべて「神の思いのまま」なのだなあ、とため息のような、わかったようなわからんような気持ちになる。

神がどういうもんなのか、それはわからない。
でも、ココロのざわめきが、さざ波から大きな波にならぬよう。その心の津波で押しつぶされぬよう、踏ん張って今を生きられるよう、音楽はあるのだろうと思えた。
音楽は、だから神かもしれない。
神さまからの贈り物かもしれない。

そう思うと、私のような仕事は、神さまに仕える巫女のようなもののようにも思える。
それにしては、ずいぶんとトウの立った巫女ではあるなあ。